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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)5747号 判決

原告(亡梅田秀樹訴訟承継人)

平井美智子

被告

片桐善彦

ほか二名

主文

一  反訴原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は反訴原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  反訴被告片桐善彦及び同株式会社ジヤパレンは、反訴原告に対し、連帯して金八三六四万〇一三六円及びこれに対する昭和五八年一〇月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  反訴被告富士火災海上保険株式会社は、同片桐義彦及び同株式会社ジヤパレンに対する本判決が確定したときは、反訴原告に対し、金八三六四万〇一三六円及びこれに対する昭和五八年一〇月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は反訴被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生(以下、この事故を「本件事件」という。)

(一) 日時 昭和五八年一〇月一四日午後六時五〇分ころ

(二) 場所 東京都豊島区東池袋一―三三―九先交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 加害車両 普通貨物自動車(大宮四四わ九二〇。以下「被告車」という。)

右運転者 反訴被告片桐善彦(以下「被告片桐」という。)

(四) 被害車両 足踏式自転車

右運転者 亡梅田秀樹(以下「秀樹」という。)

(五) 態様 被告片桐は、被告車を運転して、本件交差点を北方から南方に向かい時速約四〇キロメートルで直進進行するにあたり、同交差点は東西・南北がともに約九〇メートルに及ぶ規模を有し、かつ、対面信号は黄色から赤色への変わり目であつたのであるから、前方の本件交差点出口に設置された横断歩道を横断する歩行者等のあることを予想し、その安全を確認して進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、安全確認不十分のまま進行した過失により、折から右横断歩道を正面右から左へ進行してきた秀樹運転の自転車を右前方約一四メートルに来て初めて発見し、急制動の措置を講じたが及ばず、右自転車に被告車前部を衝突させた。

2  責任原因

反訴被告らは、次の理由に基づき、それぞれ、秀樹が本件事故により被つた損害を賠償すべき責任がある。

(一) 被告片桐は、前記過失により本件事故を発生させたのであるから、民法七〇九条により責任を負う。

(二) 反訴被告株式会社ジヤパレン(以下「被告ジヤパレン」という。)は、被告車の保有者であり、自己のため被告車を運行の用に供していた際に、本件事故を発生させたのであるから、運行供用者として、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条本文により責任を負う。

(三) 反訴被告富士火災海上保険株式会社(以下「被告富士火災」といい、反訴被告ら三名を「被告ら」という。)は、被告ジヤパレンとの間で、自動車保険契約(対人及び対物賠償責任保険)を締結していたところ、右保険契約はその約款上、契約者が損害賠償責任を負うことが確定したときは、被害者の直接請求を認めているのであるから責任を負う。

3  秀樹の受傷及び後遺障害

(一) 秀樹は、本件事故により、右頭部挫傷等の傷害を負い、次のとおり各病院へ入通院を行つた。

(1) 生全会池袋病院(以下「池袋病院」という。)に、昭和五八年一〇月一四日(事故日)から同月一七日まで入院。

(2) 東京医科歯科大学附属病院(以下「医科歯科大学病院」という。)に、右同月一七日から同年一二月九日まで入院したのち、同月一〇日から昭和五九年四月一九日まで通院(実通院日数八日)。

(3) 東京武蔵野病院(以下「武蔵野病院」という。)に、右同年一〇月一三日から同年一一月三〇日まで入院。

(4) 富士病院に、昭和六〇年四月三〇日から平成三年五月まで入院。

(二) 秀樹は、本件事故により受けた障害について右のとおりの治療を受けたが、外傷性てんかんを中心とする頭部外傷後遺症を残して症状が固定した。秀樹の右後遺障害は、その内容・程度に照らし、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下「自賠法等級表」という。)の三級に相当する。

4  秀樹の損害 合計金一億〇八六四万九九八八円

(一) 後遺障害関係を除く傷害関係についての損害(治療費、看護費用、入通院慰謝料等)

(1) 池袋病院、医科歯科大学病院及び武蔵野病院(事故日以降昭和五九年一二月迄)への各入通院期間相当分。 合計金四〇九万九八一八円

(2) 富士病院(昭和六〇年四月三〇日以降同六二年四月三〇日迄)入院期間相当分。合計金三四四万八六三〇円

(3) 富士病院(昭和六二年四月以降平成四年三月迄)入院期間相当分。 合計金六一一万三〇〇円

(二) 後遺障害関係についての損害

(1) 逸失利益 金七八九九万〇二四〇円

秀樹は、昭和四三年七月二一日生まれで事故当時一五歳であつたところ、本件事故によつて生じた外傷性てんかんを中心とする頭部外傷後遺症により、その労働能力の一〇〇パーセントを喪失したから、就労可能年齢である一八歳から六七歳までの四九年間の逸失利益は、秀樹が満一八歳に達した昭和六一年の賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計・全年齢の平均賃金額である四三四万七六〇〇円を基礎とし、ライプニツツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、右金額となる。

(2) 後遺障害慰謝料 金一六〇〇万円

5  相続

平成三年五月一八日、秀樹は死亡し、反訴原告(以下「原告」という。)が相続した。

6  よつて、原告は、被告片桐及び同ジヤパレンに対し、被告片桐については民法七〇九条に基づき、同ジヤパレンについては自賠法三条本文に基づき、連帯して、金一億〇四五五万〇一七〇円中八三六四万〇一三六円及びこれに対する本件事故日である昭和五八年一〇月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告富士火災に対し、保険約款上の直接請求権に基づき、被告片桐及び同ジヤパレンに対する本判決が確定したとき、金八三六四万〇一三六円及び昭和五八年一〇月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を各求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、同2は認める。同3については、本件事故後秀樹が原告主張の病院に入通院した事実は認めるが、武蔵野病院退院後の症状及び原告主張の後遺障害は、本件事故と因果関係がない。

2  請求原因4のうち、(一)(1)は認め、その余は否認する。

三  抗弁

1  示談契約及び損害の填補

(一) 本件事故に関しては、秀樹(代理人原告)と被告片桐及び同ジヤパレン(代理人野崎研二((本件訴訟での被告ら訴訟代理人)))との間で、次のとおり示談契約が成立している。

(1) 後遺障害を除く傷害関係の損害について

ア 成立日 昭和五八年一二月二七日

イ 内容 (ア) 治療費については、昭和五九年一二月分まで全額被告片桐及び同ジヤパレンの負担とする(本示談成立時までのものは実額九六万九二九八円、その後のものは昭和五九年一月一九日に別途協議した結果三二万二四八〇円と協定。)。

(イ) 被告片桐及び同ジヤパレンは、秀樹に対し、入院雑費、看護費用、通院交通費、入通院慰謝料等右(ア)を除く一切の損害賠償金として、既払金一〇〇万円のほか、金一五〇万円を支払う。

(ウ) 秀樹に将来後遺障害が認定された場合は別途協議する。

(エ) 本示談はいわゆる見込示談(総損害確定前の示談)であることを確認し、将来見込違いが生じても異議を述べない。

(2) 後遺障害関係の損害について

ア 成立日 昭和五九年六月二六日

イ 内容 (ア) 後遺障害の程度につき、自賠法等級表第一二級一二号を異議なく承認する。

(イ) 右後遺障害に基づく逸失利益、慰謝料等の損害賠償金を金二六〇万円とし、自賠責保険からの既払金二〇九万円を控除した残額五一万円を被告片桐及び同ジヤパレは秀樹に対して支払う。

(ウ) 被告片桐及び同ジヤパレンと秀樹は、本件事故に関し、本示談により最終的に解決し、何らの債権・債務の残存しないことを確認する。

(二) 被告片桐及び同ジヤパレンは、秀樹に対し、右各示談契約に従つて、各金員を支払つた。

なお、被告片桐及び同ジヤパレンは、秀樹に対し、以上の示談条項に基づく支払のほかに、看護費用及び原告の見舞交通費名下に合計金三〇万八〇四〇円を支払つたから、被告片桐及び同ジヤパレンが秀樹に対して支払つた金額の合計は、金六六九万九八一八円である。

2  過失相殺

本件事故の態様に鑑みれば、秀樹の損害算定にあたつては、五割の過失相殺がなされるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)はいずれも認める。

2  抗弁2は争う。

五  再抗弁(抗弁1に対して―錯誤無効)

抗弁1(一)(1)の示談契約は秀樹の症状がそれほど重篤ではないという前提でなし、同1(一)(2)の示談契約は秀樹の後遺障害が比較的軽度(自賠法等級表第一二級一二号にあたる。)であるという前提でなしたものであり、その後現実に生じた症状及び後遺障害はいずれも各示談契約時には予測しえない重篤なものであつたから、右各示談契約は要素に錯誤があるものとして無効である。

六  再抗弁に対する認否

いずれも否認する。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因1(交通事故の発生)及び同2(責任原因)の各事実については当事者間に争いがなく、同5(相続)の事実については被告らはいずれも明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。したがつて、被告らは、原告に対し、本件事故により秀樹が被つた損害を賠償すべき責任がある。

二  そこで請求原因3(秀樹の受傷及び後遺障害)の事実について判断することとする。

1  被告らは、請求原因3の事実のうち、武蔵野病院退院後の症状及び原告主張の後遺障害は本件事故と因果関係が存在しない旨主張するので、以下この点について検討する。

(一)  本件事故前後及び富士病院入院前後の秀樹の精神的症状の変化の有無について

(1) 本件事故以前の秀樹の症状

成立に争いのない甲第四、第五、第一四及び第一五号証並びに復光会総武病院に対する鑑定嘱託の結果(以下「総武病院鑑定」という。)及び松沢病院に対する鑑定嘱託の結果(以下「松沢病院鑑定」という。)によれば、以下の事実を認めることができる。

秀樹は、昭和四三年七月二一日に出生し、両親の離婚及び母親(原告)の再婚を経験し、一時期原告の姉の下に預けられるなどのこともあつたが、小学校までは特段の問題なく成育した。しかし、小学校五、六年生ころから、女子生徒とのみ遊んで男子生徒のいじめに遭うようになり、中学校に入学してその一年生時に同級生による校内暴力の被害に遭つてからは登校を嫌がるようになつた。それからは、一年生時の一二月に東京都内の学校に転校して以降、殆ど登校しないで自分の部屋に閉じこもるようになり、更に自殺未遂を起こしたり家庭内で暴れるなどしたため、二年生時の四月及び一〇月に各数週間西河原病院に入院し(診断名は破瓜病。)、その後、デンマーク牧場という施設に入所するなどしたのち、昭和五八年六月二七日から同年七月二一日まで医科歯科大病院精神神経科に入院し、引き続いて外来通院を行つている最中に本件事故に遭うこととなつた。

右の医科歯科大病院への入院期間中にみられた秀樹の症状は、精神的症状が、「行動=自閉傾向が強い。顔貌=表情の変化に乏しい。談話=無口。欲求=退院要求が強い。感情=不穏、不安感、やや感情鈍麻の印象がある。疎通性=低下(質問などは理解するが、感情的共感性はない。)、主要精神症状=無為、自閉、発動性低下、感情鈍麻。希死念慮。」、性的同一性障害(女性化傾向が強い。)等であつて、その診断名は思春期分裂病質障害(その内容は、〈1〉親族又は自分と同様に社会的に孤立した子供を除いて同年輩の親しい友達がいないこと、〈2〉友達を作ることに関心を示さないようにみえること、〈3〉日常の中間との交友から喜びを得られないこと、〈4〉家族以外との社会的接触、特に仲間との接触の全般的回避、〈5〉他の子供たちと一緒の活動((団体競技、クラブのようなもの))への無関心、〈6〉少なくとも三ケ月間の障害の持続、〈7〉「全般的発達障害」、「行為障害、社会化不全型、被攻撃型」あるいは「精神分裂病」のようないかなる精神病にも起因しない。〈8〉一八歳以上の場合、「分裂病質人格障害」の診断基準にあてはまらない。)というものであり、他の症状として、昭和五八年七月一四日実施の脳波検査では軽度な異常がみられた。その後の外来通院時には、薬物投与によつて右精神的症状のうち自殺念慮は軽快した様子がみられたものの、閉居、無為の状態は続いていた。

(2) 本件事故後の秀樹の状況

秀樹は、本件事故後、前示当事者間に争いのない事実のとおり、池袋病院、医科歯科大病院及び武蔵野病院へ各入通院を行つたが、成立に争いのない甲第三、第一一、第一二、第一六号証、前示甲第四、第五、第六、第一五号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二号証の一、二及び総武病院鑑定によれば、右各入通院時の秀樹の状況は以下のとおりであつたと認めることができる。

ア 池袋病院

症状として、事故発生時より二、三時間の意識消失。その後医科歯科大病院への転院時まで頭痛及び嘔吐が続くが、経過は良好。診断名は「右顔面及び頭部挫傷、左膝及び左足擦過」。

イ 医科歯科大病院

頭痛、嘔吐が続いたため、急性硬膜外・硬膜下血腫の診断の下に血腫除去手術及び創部浸出液除去手術の二度に渡る開頭手術を行つた結果、事後の経過は良好だが、昭和五八年一一月八日実施の脳波検査では、徐波の若干の増加及び前頭葉部位における律動の若干の左右差がみられ、さらに昭和五九年二月二八日実施の脳波検査では、年齢に比して徐波が多く、前示の事故前の検査結果と比較して、過呼吸時に右側の徐波化がやや目立つていた。右手術後の精神的症状は、「行動=自閉傾向が強く、無為な生活に傾いている。顔貌=表情の変化に乏しく、目つきが特有である。談話=無口。欲求=意欲低下が認められるが、それほど奇異ではない。感情=不穏、易怒的。疎通性=やや不良。主要精神症状=無為、自閉、精神運動性不穏、意欲低下、性同一性障害」というものであつたが、昭和五八年一二月九日に同病院を退院してからは、ときに家庭内で暴れて原告を困らせるようなことがあつたものの、表情は明るく、担当医に対しても適度に話をするようになり、概して活気が感じられるような状態であつた。

ウ 武蔵野病院

しかし、昭和五九年一〇月ころから、原告に対する暴力行為が目立つようになり、食事も牛乳のみしか摂取しなくなつたため、保健所の紹介で南大塚診療所を経て、同年一〇月一三日武蔵野病院に入院するところとなつた。入院に際しては、原告を挑発するような行為や乱暴な挙動をし、入院に強く抵抗したため、病状観察とともに母子関係の把握を主たる目的として治療が開始された。同病院での秀樹の精神的症状は、「自閉、対人恐怖様症状、性的倒錯傾向、自傷行為、衒奇的振舞、断片的かつ短絡的な思考傾向及び時に思考の混乱、家庭内では奇異な行動及び母に対する乱暴を認む(診断名は『人格発達障害』)というものであり、他に、硬膜下血腫術后(神経学的には明らかな異常を認めず。頭部CTスキヤン、脳波検査において積極的に異常とみなせる所見なし。)がみられたが、精神的症状については、入院中の心理療法によりかなりの改善が認められていた。

(3) 富士病院入院時の秀樹の状況

総武病院鑑定及び松沢病院鑑定によれは、秀樹は、武蔵野病院退院後の昭和五九年暮れころから再び原告に対する暴力行為が目立つようになり、昭和六〇年四月三〇日富士病院に入院した。同病院での秀樹の精神的症状は、「精神機能全般、ことに人格の平板化、浅薄さ、芯のなさ、細やかな情緒の低下、気楽さ、洞察力の欠如、感情や思考の短絡化、易怒など感情的抑制の低下、思考の貧困等が目立つた状態」、性同一性障害等であつたものと認めることができる。

以上、右(3)で認定の富士病院入院時の秀樹の症状と、前記(1)で認定の本件事故前の秀樹の状況及び右(2)アないしウで認定の本件事故後武蔵野病院退院時までの秀樹の状況とを比較対照すると、本件事故後の秀樹は、脳波検査の結果において、徐波の若干の増加及び前頭葉部位における律動の若干の左右差がみられ、さらに、年齢に比して徐波が多く、過呼吸時に右側の徐波化がやや目立つてはいたものの、精神的症状の上では、本件事故前後及び富士病院入院前後の各間に、内容及び程度の観点から顕著な変化を見出すことが極めて困難といわざるをえない。そして、以上の事実に、成立に争いのない甲第一七号証、前示甲第四、第五号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第八号証の一一及び松沢病院鑑定によつて認められるところの、〈1〉昭和五九年五月七日の医科歯科大学病院脳神経外科稲葉医師の診断では、「現在見られる自閉、対人恐怖、奇矯な行動は外傷以前から存在するもので新たに加わつたものではない。」とされていること、〈2〉昭和五九年一一月二六日の医科歯科大病院神経科渡辺医師の診断では、「既存障害たる思春期分裂病質障害は、受傷前後で著変を示さず、新しい脳神経学的障害の出現も確認されない。」とされていること、〈3〉東京地方検察庁からの捜査関係事項照会書に対する昭和六〇年一月一一日付回答書において、武蔵野病院伊藤医師は、当院(武蔵野病院)入院加療中の傷病と本件事故との因果関係について、頭部CTスキヤンでも明らかな器質病変は認められないことや前医からの情報では問題となつている精神的症状は本件事故以前から認められていたこと等からして、否定に解していること、〈4〉被告車の自賠責保険会社(被告富士火災)からの調査依頼を受けた自動車保険料率算定会新宿調査事務所(以下「調査事務所」という。)においても、「富士病院でのCTからは外傷による瘢痕はもちろんのこと、明らかな脳萎縮は見出せず、多少の脳室拡大はありうる程度であり、この程度のCT所見、受傷時の臨床所見、治療経過からは、現症の精神障害が発現することは考えにくい」との判断がなされていること、〈5〉松沢病院鑑定において鑑定にあたつた武井医師は、「頭部XP、CYにおいて、被告には事故に伴う頭部外傷とそのための手術により、頭蓋骨にあつては、欠損その他の所見が認められるが、頭蓋内の脳表面および脳実質においては、特に問題とすべき異常所見は認められず、したがつて、CT検査で分かる範囲の脳萎縮は少なくとも存在しないと考えられる。」旨の判断をしていること等の各事実を併せ考えれば、前示認定の富士病院での秀樹の精神的症状が、本件事故以前から秀樹が有していたものとは異なり、本件事故によつて新たに生じるに至つたものと認めることは困難といわざるをえず、したがつて、武蔵野病院退院後の富士病院における入院治療と本件事故との因果関係は認めることができない。

(二)  総武病院鑑定及び証人石川の証言について

もつとも、総武病院鑑定及び証人石川の証言は、いずれも結論において、富士病院入院時の秀樹の精神的症状が、本件事故前から秀樹に存したものとは異なり、事故との因果関係が存在するものであるというものとなつていることから、以下、右総武病院鑑定及び証人石川の証言の各内容について検討する。

総武病院鑑定は、要約すると、「受傷時二―三時間の意識消失等の症状があつたことからすれば、単に硬膜下血腫のみでなく、脳挫傷があつたと推測される。これはその後の脳波検査(甲第四号証等)及びCTS検査(乙第二号証)からも明らかであり(脳波検査では、前頭脳ではθ波が多く、後頭部にはβ波が出没し、過呼吸試験で全視野においてθ波が増強し、前頭側頭脳にはδ波が出現するなど、受傷部を中心とするがそれ以外に問題がみられる。これは脳の損傷が広範囲に認められることを推定させる。)、右CTS検査からすれば右脳全体及び左前頭脳等にも脳萎縮が認められ、本件事故によるものであることは間違いない(但し、脳挫傷による影響ことに軟化、萎縮、瘢痕化等は受傷直後ではなく、数カ月乃至数年後に症状が明らかになることが多いから、武蔵野病院入院時までは脳の損傷による症状はあまり目立たなかつたかもしれない。)。鑑定にあたつて行つた診察の際の秀樹の臨床的所見、すなわち軽薄さ、芯のなさ、頼りなさといつたことは脳の器質的損傷(ことに前頭脳)患者に特徴的にみられる症状である。浅薄さ、耐性の低下、自傷行為への切実感のなさは脳挫傷の影響と考えられる。性同一性障害は事故以前から存したものであるが、現在まで続いていることについては脳挫傷も一因かもしれない。総括していえば、受傷前から秀樹には問題行動が認められ、医療を受けたことは事実であるが、性同一性障害、男性に対する不信感・恐怖心以外は富士病院入院以前にみられた分裂病質や精神病ことに精神分裂病の疑いを思わせる症状は、脳挫傷と脳萎縮に基づくと思われる前述の症状が前景に立つて目立つているので、平板化し、不明確となつている。なお、石川医師の診断名である『外傷性てんかんを中心とする頭部外傷後遺症』については、確かにてんかんの存在は十分考えられるが、前述の症状が確信をもつててんかんの運動発作であるということはできず、自分としては、脳損傷による性格変化の結果と考えて矛盾ないと考える。」というものである。

一方、証人石川の証言は、要約すると、「臨床的には、はつきりしたてんかん発作は起きていない。しかし、外傷の部位に相応した部分に正常ではみられない徐波が、これがある時期にぱつと連続して出るという形(このような出現の仕方はてんかん特有の所見と一応考えてよい。)で再三出現していること、症状に粘着性が認められること等に照らして『外傷性てんかんを中心とする頭部外傷後遺症』という診断を行つたのであり、頭部外傷後遺症の疑いという診断は前任の主治医も行つていた。本件事故前の秀樹の症状については、軽い神経症程度、具体的にはいじめられつ子で、学校に行かなくなつたとか、若干家庭内で暴れたことぐらいで、脳波には全く異常がなかつたと思う。」というものである。

しかしながら、総武病院鑑定についていえば、脳挫傷及び脳萎縮が生じたとする根拠、それらが秀樹の症状の原因であるとする根拠はいずれも薄く(例えば、そこで述べられたCTS検査に対する診断及びその前提としての乙等二号証の記述は、独断的かつ具体性に欠け、前示各証拠に照らしてこれを全面的に信用することはできない。)、その発生機序等は何ら明らかにされていないし、前示のとおり本件事故以前に秀樹に脳波の異常が認められていたことについては何ら触れるところがなく、さらに、CTS検査に関し、脳挫傷による影響(脳の軟化、萎縮、瘢痕化等)は受傷後数カ月ないし数年経つてから生じることも多く、武蔵野病院入院時に目立たなかつたのかもしれないとしているが、前示認定のとおり、総武病院鑑定が右脳損傷の発現であるとしている諸症状は、武蔵野病院入院時及びそれ以前にもみられるのであるから、その内容に矛盾も認められるといわなければならない。また、証人石川の証言についていえば、同証人が診断にあたり本件事故以前から秀樹に脳波異常が存したという事実を前提としていないことはその証言内容から明らかであると、同証人が秀樹の本件事故以前の症状につき、前示認定の本件事故以前の秀樹の実際の症状と比較し軽微なものと認識していたこともその証言上明らかである。のみならず、総武病院鑑定及び証人石川の証言によつてその結論の一根拠とされている富士病院での脳波検査の結果についても、松沢病院鑑定によつて指摘されている投薬による影響の疑いを払拭することはできない。

したがつて、総武病院鑑定及び証人石川の証言のうち、富士病院入院時の秀樹の精神的症状の原因が本件事故による受傷にあるとする判断については右に説示した理由により採用することができないものといわなければならない。(なお、同様の理由により、証人石川作成にかかる乙第一及び第二号証も採用することができない。例えば、てんかんの存在については、同証人の独自の診断というほかない。)。

2  以上を総合すると、秀樹は、本件事故により急性硬膜外・硬膜下血腫の傷害を受け、池袋病院、医科歯科大病院及び武蔵野病院における入通院治療を要したが、右治療を受けた結果、若干の脳波異常の後遺障害を残したものの、精神的症状その他の面では、本件事故以前と同程度に回復して症状が固定したというべきである。

三  進んで請求原因4(秀樹の損害)について判断する。

1  まず同4(一)(後遺障害関係を除く傷害関係の損害)について検討する。

前示のとおり、秀樹が本件事故により受けた傷害は、池袋病院、医科歯科大病院及び武蔵野病院における治療により症状が固定したものというべきであり、その後の治療は本件事故と因果関係がないものというべきである。したがつて、原告が、被告らに対して請求できる後遺障害関係を除く傷害関係の損害額は、当事者間に争いのない請求原因4(一)(1)(池袋病院、医科歯科大病院及び武蔵野病院への各入通院期間分)の合計金四〇九万九八一八円のみということになるが、右金額が填補されていることについては、成立に争いのない甲第一〇号証の一、同号証の二、証人野崎の証言により真正に成立したものと認められる甲第九号証の一及び弁論の全趣旨によつて認められるから、結局その余の抗弁及び再抗弁について判断するまでもなく、原告の後遺障害関係を除いた傷害関係の損害についての請求は理由がないこととなる。

2  次に同4(二)(後遺障害関係についての損害)について検討する。

(一)  前示のとおり、秀樹は、本件事故により若干の脳波異常(以下、この脳波異常を「本件後遺障害」という。)を残して症状が固定したものであるが、その内容・程度に照らすと、本件後遺障害は、局部に頑固に神経症状を残すものとして自賠法等級表の第一二級一二号に該当するものと認めるのが相当である(なお、前示甲第一七号証によれば、自賠責調査事務所の調査においても、本件後遺障害が右等級で認定されていることが認められる。)。

(二)  ところで、後遺障害関係の損害について、抗弁1(一)(2)の示談契約がなされたことは当事者間に争いがないが、原告は、再抗弁において、右示談契約は本件事故により生じた後遺障害が比較的軽度(自賠法等級表第一二級一二号該当)であることを前提にしたものであり、右示談契約成立時には予測できない重篤な後遺障害が秀樹には生じたのであるから、右示談契約は要素に錯誤があるものとして無効である旨主張する。

しかしながら、本件後遺障害は、その内容・程度に照らして、前示のとおり自賠法等級表の第一二級一二号に該当するにとどまるものというべきところ、右示談契約において前提とされた後遺障害の程度が同表の第一二級一二号であることは、右示談契約の内容に照らして明らかである。

したがつて、原告の再抗弁の主張はその前提を欠くものであつて、抗弁1(一)(2)の示談契約を無効と認めることはできず、右示談契約に従つて金二六〇万円の填補がなされたことについては、前示甲第一〇号証の一、同号証の二、証人野崎の証言により真正に成立したものと認められる甲第九号証の三及び弁論の全趣旨によつて認められるから、結局、原告の後遺障害関係の損害についての請求も理由がないこととなる(なお、被告富士火災は右示談契約の当事者ではないが、同被告は、被告片桐及び同ジヤパレンの負うべき賠償債務について保険者としての責任を負うのであるから、被告富士火災に対する原告の請求も理由がない。)。

四  以上により、本反訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 稲葉威雄 石原稚也 江原健志)

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